event 全国講演会

第14回 深澤早苗講演会@広島安芸高田市を開催しました。

第14回目の講演会は、広島県安芸高田市、虹のうつわさんにて。

今回主催いただいたのは、ラグラスキッチンプログラムを卒業されたばかりの横田加奈さん。

なんと、約1か月前にラグラスキッチンプログラムの卒業ランチ会を開催されたばかり^^

イベント概要

■ 開催日時:2024年4月24日(水)
■ 開催場所:虹のうつわ

(広島県安芸高田市吉田町常楽寺21)
 

■タイムスケジュール

12時~パルタージュランチ会
13時30分~講演会

内容はこちらをご覧ください♪
https://FukasawaSanae.hp.peraichi.com/kouenkai
15時30分~質疑応答
16時   終了予定

■ 費用:

3,500円

全国講演会の詳細はこちら

講演会前のパルタージュは、加奈さんとさななで作りました!

加奈さん、ありがとうございました。

今回のお話は・・・・

今回はさななと初めてお会いするという方もいらして、静岡時代のお話から、なぜ今広島にいるのか、まっしーも一緒にお話させていただきました。

〇食べ物と心のお話

静岡県の富士山のふもとで育ったさなな。

まっしーと結婚後、まっしーの家業を手伝いながらカフェをされていた時に突然訪れた食物アレルギー。

アレルギーになる少し前まで10年位拒食症だったさななにとって「食べたらいけないもの」があることが衝撃的だったそう。

「食べるものを失った!」とまで思ってしまったさなながしたこと。

それは「食べ物を見直し、冷蔵庫の中を全部食べられるものにしたこと」

そうすることで「食べ物を失った状況」が「これ全部食べられる」という喜びに変わったそうです。

人は作られた狀況で、ダメージをうけたり喜びを受けたりする!

また、まっしーから

「ふつうは私は食べないけど家族は食べる、という作り分けををするけど、一切しない、同じものを食べるという選択をしたので、それが逆によかった。」

さななからは

「子供たちの栄養とか考えて、もうちょっと違うものがいいんじゃないかとか、ということもあるけど、家族が同じものを食べるというのはすごい大切。

ということで、深澤家は家族全員さななと同じものを食べていたそうです^^

〇さななの研究

アレルギーになった時、さななはジェラート屋さんもしていました。

当時は牛乳を使ったジェラートを作っていたので、作っていると喘息のような症状が出てきたため、豆乳で作ることを考えたそうです。

そうは言ってもレシピもなく、半年間くらい、牛乳のジェラートを作りながら研究していたけれど、なかなかうまくいかず、喘息は辛くて身体はボロボロだし絶望的で奥で泣いてたそう。

その頃は野菜の声を聞いて、レシピを数字で受け取る練習をしていたさなな。

ふとレシピを見たら「なんかこの数字違うかも」と書き直したそうです。

書き直したレシピでできあがったジェラートはふわふわで、「天使の愛ス」という名前になったそうです♫

さななとまっしーから、「奇跡が起こる時の状態」についてのお話がありました。

「ピンチはチャンス!という言葉があるけど、そんなこと思う余裕のない時に起こりやすい!」

まっしーからは「大変な狀況の時には奇跡は起こりやすい狀態。やることやって、だけどあきらめないこと!」

そこから、まっしーとさななが営んでいた会社を閉めることになった時のお話に続きます。

まっしーが「3代続いた会社を閉めたらどうなるのか?」とショックだったけれど、、、そこにあったのは

「やめたら楽になった!お金なくなったらどうしよう、、って思っていたけど、なくなったとき、それは不幸じゃなかった」

みんな想像してるのは想像、現実は違う

その時から人のお世話になるようになったそうで、まっしーは

「それまでは、自分に必要なものは自分で稼いで手に入れなきゃいけない!という一般的な常識があっだけど、本当に必要な時は誰かが手をさしのべてくれたりなんか、うまくいっちゃう」と話されていました。

そこからさななとまっしーは、ご縁の杜(当時は深澤旅館)で働くようになり、いろんな流れから深澤旅館がご縁の杜になり、それに伴いさななはシェフになったこと。

さなながシェフになってからは、料理はみんなで作ったそうです。

「料理はやっていくとできるようになる。大切なのは楽しさと喜び。

喜びから入ると技術はついてくる。

それは料理だけではなくて、全ての事に共通する。」

そしてその後ご縁の杜を退職して独立することになったさなな。

30代のころから60過ぎに何か形にできることを楽しみにしてたそう。

「思ったらすぐ行動!」

出た言葉は「まっしー、辞めよう!」

それはすぐに辞める!ということではなく、辞める意思を伝えること。

その後退職し、東京に引っ越すことになり、原宿にサロンを借りたり、伊豆大島に家を借りることになったり。

そしておむすびがキッカケで知り合った、世羅在住の青ちゃん(青原英彦さん)のご縁で広島に引っ越すことになったこと。

「広島に引っ越す」という事だけが決まっていて、当時はおうちも決まらない、引っ越す費用もない状況で、さなながしたこと。

それは「全力で笑う事。」

全力で笑うと、事態が急展開し、無事に引っ越すことができたそうです。

「先に決めること!」

「閃いたら今!」

「瞬間的に思ったことで動くと人生は好転して勝手にすすむ」

ということをお話していただきました。

その後、ずっとさななが思い描いている村のお話、そして玉ねぎさんからのメッセージをいただき、講演会を終えました。

さななの半生、そしてさななの考え方や生き方が分かる、そんな講演会になりました。

加奈さん、ご参加いただいた皆さま、本当にありがとうございました!

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